昭和44年7月21日 朝の御理解
御理解第80節
この御理解80節は、ええ、どうも分からんところばかりがあるような感じがする。
確かに年よりは、いわゆる若い者よりも早く世に出て来ておることは間違いない。しかも自分の考えで出て来ておるとも思われない。年をとっておるから、それだけ世の中のために働きをたくさんしておる、このへんになるとなかなか分からない感じがするです。ね。はたして世の中のために働きを、その年よりはしてきておるだろうか、と。かえって世の中のご厄介になって、長く生きし、長生きをしておれば長生きをしておるほど、かえってご厄介になっとるようなことはないだろうか、と。
これは、年より自身もそこんところは考えなければならない、と思うですよね。
そういう、道理ではある。けれども、その道理に、道理には、いってない、やはり年寄りもあるだろうと思う。
次に若い者の例をここにとっておられるところを見ても、それを感じます。
「若い者でも役に立つ人は、何となく人が敬うようになる」とあるでしょう。ですからほんとにその年寄りがお役に立ってきとらなければ敬われない、ということになるんですね、ほんとは。
ですから、この人は年よりじゃけん、大事にせんならん、年よりを、まあ、いうなら優先的に楽にしてあげたい、といえば、席を譲るでも、お年よりに、「さあ、どうぞ」と、言ったようなことは、まあ、年よりを、それだけ大事にしておるわけですけれども、その、敬うというのとは、ちょっと違うような感じがする。
よぼよぼしちゃるから、手の一つも引いてあげよう、というのは、敬うて手を引くのではなくて、よぼよぼしとるから手を引いて、といったようなことにもなるだろうと。
ね、その、若い者の、「若い者でもお役に立つと敬うてくれるようになる、しかし、不都合不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者はよう心掛けておるがよい」。どのへんを心掛けておったらいいのだろうか。
ただ、年よりを大事にするということだけを、心掛けておったらいいのだろうか。
年寄りのくせにでしゃばってからと、例えば若い者が年寄りに対して思う。これは、敬うていない。ということでしょうけれどもですね、そこにあのやはり、若い者、年より、敬う者敬われる者の、その、ということは、どういうところが敬われ、どういうところが敬わなければおられない、また、敬われる人は、どういうところが違うのだろうか。もちろん、世の為になっておる、と。
そこんところを心掛けとかなければならない。これはまあ、家の中でもそうですけどね。世の為と言わんでも、あの、わたくしどもの手足が伸びたと、自分で(?)大きくなったごと思うて、どのくらい私どもが、「幼少の時を忘れて、親に不幸のこと」であります。
どんな親でもやはりその子の成長のためには、いわば生命をかけて、いわば一生懸命で、子供の面倒をみてきておるわけです、ね。ですから、ま、親孝行しなければならん、親を大事にしなければならん、というようなこと。ここでは、親ということではなくて、年寄りを、とこう言うておられますね。親もやっぱり年寄りの内に入りますけれども、だから自分の親だけではない、わけです。ね。自分の親は、今申しますように、確かにわたくしどもが、しんからお世話をかけてきておる。
ま、そこのへん、わたくしはこの御理解、あんまりすっきりと分からない感じするんですね、どういうことを教祖様は。
ただ単に、年寄りを大事にせろ年寄りを大事にせろと、いうだけではなくて、なにかこう、年よりに対しても一つの警鐘を与えておられるといった感じがいたしますですね。
次に若い者の例をとっておられるところなんかねえ、「若い者でも、お役に立つと人が敬う」とおっしゃる。してみると、私自身は、どのくらい世の為人の為に役に立ってきただろうかと、年より自身、考えなければいけない感じがいたします。うん。
いわゆる人が敬うということ、いわゆる、ということはですね、ええ、やはりその人自身に一つの光をもっておる、お徳をもっておる。お役に立つということは、ほんとにお役に立っとれば、そういう光を放つ(???)だから、この、人の迷惑も何も考えずに、この、世話好きであるとか、でしゃばるとかというよなものではないんですよね。光と繋がるわけです。光をもっているかいなかということ。徳をもっておるかもってないか……。いや、徳をもっとるかではなくて、徳を積んできたか積んでこないかということなんですよ。
それは例えば十年間なら十年間、毎日お参りをしておる。けれどもそこに開きが非常に出てくる。敬う人敬われない人。ね。敬わなければおられない人、その人が来ると家の中が明るくなるといったような徳を、段々一方は積んでいくかと思うと、その人がおってもおらんでも、別に光を、何にも感じないといったような人と、あるわけでしょ。
どこにそういう違いがあるかと言うと、例えば同じお参りをさせて頂いても、十年間、私もあんたもお参りをさせて頂いたと言うても、一人はです、例えて言うならば、教会を中心にして一生懸命信心しておる。一人はただ自分のことだけを中心にして、そうな一生懸命修行もしてお参りもしてきたと。こういうところですよね。世の、世のお役に立っている立っていないという、教会のお役に立っておる、教会のお役に立っていないという開きができてくるんですよ。ね。
ですから私、思わしてもらうのにですね、これは思えと言うて思えるのじゃないですから、ほんとに自分の信心の成長を願わせて頂いてです、人の事が願わなければおられないもの、ところ、教会のことを中心に考えなければおられないもの、言うに、止むに止まれないもの、そういうものが、わたくし、育ってくるということだと思うんですよね。
お役に立つ、または立っていない。ならここんところ、「年よりは」と言うておられますから、信心の年寄りと言うてもいいと思うんですよ。ね。あの人はもう、わたくしだん、もう、信心の年数だけは、くっとりますばってん、ちゅう人がありますが、ほんと年数だけくっとってから、ひとつも信心が成長していない人がある。もうあの、椛目時代から、一番初めの頃からお参りをしてきておる。でもです、ね、ただ自分の用のある時だけ参ってくると言う人が、いくらもあります。
かと思うと、信心なまあだ三年か五年かだけれども、その、教会の御用なら教会の御用といったことに関心をもつ。いや、その事に対して一つの生きがいすら感じるというくらいに、段々変わっていくと言う人もありますもんね。
だから、二十年間合楽にご縁を頂いておってもです、一つも人が大事にしない、人もあれば、または、たとえ四年か三年でも、あの人がおってもらわなければ、「ああ、あなたが来て貰ってよかった」といったようにです、人が喜ぶ、いわば、そういう人を、「若い者でもお役に立つと、ね、何となく人が敬うようになる。不都合不行き届きが重なれば、敬うてくれぬ」。例え、合楽に何十年お参りさせて頂きよっても、ね、不都合なことが起こってくると。
先日、これはもう、もうほんとにあの、昔から参ってくる、やっぱり今日まで続いておる(?????)時々しか参ってこんのです。その人が参って来てから、ここで申しますのにですね。あの、ここで段々ご信者さんと知り合うてですね、いろ、商売人ですから、あのう、ま、買うてもらうのは嬉しいちゅうんです。ところがね、主人が帳面を見てから、「これはお前、合楽の信者ばっかりじゃないか、もって、お金ば払うとらんとは」ち、言うたそうです。ね。
いわゆる、不都合不行き届きが重なっておるわけです。とりわけほんなら、「お前の信心友達かこの人達は」というふうに、主人が言うと、こういう。ね。これではやはり不都合不行き届き。これでは、敬われるはずはない。「若い者でも、なんとなく人が敬うてくれるようになる」というのは、お役に立つから何とはなしに敬うてくれるのである。「不都合不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心掛けておるがよい」。不都合不行き届きのないように、も、心掛けなければならない。
または、年よりを敬うという心も、いつも心掛けておかなければならない。
と、私は、それだけを心掛けておるがよいということをそんなこと、こう思うんです。ただ、年よりだあけを敬うことを心掛けとけという意味じゃなくて、自分自身もです、不都合不行き届きのないように、心掛けておかなければならない。もし、不都合不行き届きができたならば、ほんとにそこに、ほんとに、わたくしそういうことを詫びておらなければならん。了解を得ておかなければならん。こんなわけでどうもすいません、と。
これは貸借関係のことだけではない。ね。(??)をする、とこういう、ようなことでも、同じ事がいえると、思うんです。ね。
こういう風にこう、うう、例えば年寄りとか、いうんじゃなくて、信心の年寄り、信心の若い、といったようにこれを頂いてまいりますと、少し釈然としてくるですね。八十節は。
ほんとですもんね。年寄りだから、まあ、段々神心が強うなってまいりますとです、例えば過去のことはともかくとして、ね、この、顔に手に刻まれておる、あのしわを見ただけでもです、いわゆる世の中の難儀苦労を、世の中の荒波に、もまれてきた人、と言う意味で、「はあ、何十年間という間、ご苦労さま」といったような気が、することはするですね。わたくしはそんな気が特に強いです。
いつか神様から、「このばばさんこそ、こんにゃくばばさん」ちて、頂いたことがあるです。もうそりゃほんとに、まあ見るからに、まあ、夜叉んごたる顔しとんなさいましたが、椛目時代、何回か参って来なさいました。その人がもう、その、こんじょ(根性)の悪いお届けしよんなさるとばってん、もうなにかそれがね、もう、なにかもう、かわゆうてかわゆうてたまらんという気がしたことがある。
ね。この例えば、こんじょ(根性)の悪いこと何十年間言い続けて、苦しんできておられる。かわいそうな人じゃなあ、というわけです。そしてその口には「なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ」ち言よんなさるとです。お届けしながらでも。「金光大明神様」ち言いながら、(???)なさる。暇さえあれば、「なまんだぶ、なまんだぶ」て言いよんなさるけれどもです、ね。
ですからその、そういうところがね、やはり、親、その、まあ、何とはなしに、まあ、根性は悪かっても、まあ、神様の目から見れば、その、かわいいものじゃということになってくるのかもしれません。ね。
私共でも、心が神心に向っておる時には、そういう気がする。ね。
それこそお説教のお話の中にありますよね。あるおばあさんが、もう、亡くならっしゃった。で、閻魔様の前に行くのに、もうたくさんのその、お念仏をかろうて行きよんなさる。ああ、でその、石川五右衛門が、あんばばさんな、(??)極楽に行くじゃろうと思うた。たくさん念仏をかろうて行きよんなさる。ね。ところが、自分というものを見てみると、ほんなもう念仏というのは、もうちょこっと、一つしか持っとらん。いっちょん持たん。まあとにかく、日本一の大泥棒で通ってきとるし、悪いことばかりしてきたから、仕方がない。けれども、まあ、死んでからでもその泥棒心があったんでしょうね。「おばあさん、あんた、(???)しよんなかして、(???)かろうとるが、重かろうが」ち。「私が閻魔様の前に行く所まで、私がかろうて行ってやろう」ち。「あんた、あたしがつ持って行かんの」ち。「ならお願いします」ちゅうごたうふうで、おばあさん、頼まっしゃったごたる風ですたいね。
で、石川五右衛門さんな、そのばばさんのその大きな念仏をかろうて行き、ばばさんな、小さいその石川五右衛門の念仏をかろうて。ほして大体が腹が、持ってってやろうち思いが、その自分がそれを取り上げようとするつもりやもんやけん、ま一生懸命急いでから、ちょっと待ってくれんの、と言うたっちゃ、待てんで、「あんた、後からぼつぼつ来んの」、ちゅうたるごたる風で、先いその行ったちゅうわけなんで。
そして閻魔様の前で、「わたくしはこういうたくさんな念仏を持って来た」て言うたら、お前は地獄へ行くち言わっしゃったげな。お前のは空念仏じゃった。
それで後から来たばばさんが、もうたった一つの念仏じゃったばってん、石川五右衛門つのには、(???)あった。こんばばさんな、極楽行く。
て、言う風にですね。例えばその、年を取ってきとるばばさんが、閻魔さんの目にはですね、極楽行きにやっぱり映じたのであろう。やっぱりほんとに、(???)悪い(?)、真実のある、なるほど義賊と言われた石川五右衛門のことですから、自分の身の栄華のため、身のためだけに、泥棒したのじゃない。難儀な人達のためにしたのであるけれども、お役に立ってきとるけれども、泥棒という悪いことをしてきておるから、ね、結局は極楽に行けなかったというお話なんです。
ですからそのわたくし、その、なるほどそういう意味でなら、年よりを大事にされます
よね。けど、なかなかそこまで到達することはできません。そこでわたくしやっぱり、ここんところは、信心の年寄りといったような風に頂いた。自分な何十年間、もう椛目時代から、一番初めからお参りしよるが、果たして、おかげはずい分頂いてきたが、お広前のために教会のために、自分はどれだけの働きをしてきたであろうか、と。また、働きもしてきとろうばってん、どのくらい不都合不行き届きなこともあったじゃなかろうか、といっちょ思うてね、みなきゃいけんのじゃないか、とこう思うんですよ。これではね、これでは、敬うてくれんのです。
同じ十年間なら十年間、お参りさせて頂いとってもです、段々信心の事が分かる、ね。ほんとに合楽を中心にして、真剣に考えた、真剣に思うた。それが、祈りにもなり、御用にもなった。そこにです、二人を並べる時に、片一方の人は、「ああ、よかった、あなたが来て頂いて、今日はいっちょおかげ頂いた」と言って、みんなが喜んでくれる。片一方の人は、「おお、来たの」というようなことで、別に「あんたが来たけんで、よかった」とは、だあれも言わん。
これはすでに、敬われている人、敬われていない人なんです。大事ににされている人、大事にされていない人。役に立っていない、また、役に立たんもん、来たっちゃ。そうでしょう、ね。
だから、いわゆる、若い者でも、お役に立つように、立つと、何とはなしに人が敬うてくれるけれども、不都合不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心掛けておるがよい、と。
わたくし昨夜、お風呂へ入らして頂いた。ああほんとに、一人で一番風呂にも入らして頂いたわけですけれども。そん時に、今、私ようっと覚えもしませんけれど、うかあっとしておったような感じがするんですね。別に悪いこと思うたわけでもないけども、なんかうかつだったような感じがするんです。
ちょっと、洗い桶を、こうやって取ろうとした時に、こつっともいわなかったけれども、なにかこう、腰がなんか、ちかっとしたような感じがした。こうやって見てもどうもなかった。
そしたら、段々段々、御祈念をする頃に、夜の御祈念に入った頃には、立つ時に痛か。ね。もう御祈念終ってから、早々に休ましてもろうてから、揉んで貰って、揉んで貰っておると気持ちがいいけれども、痛さは取れない。どういうことだろうかと。なんか、神様ちゃ間違いがないなあ、(??)のこつ考えたら、もうこげんお気付け下さる、と自分の思い当たる節がない。ね。
そうして、わたくしは、今朝もやっぱりそのことを、どうしたけんこげんなったっちゃろうかと。ま、わけのないはずはないですからね。よくあの、重い物持ったりなんかする時に、ね、ここを、腰をたがえるといった、まあ、ぎっくり腰といったようなことも言いますが。ま、そ、そ、それじゃ、と思うんです。も、筋が腹かいたというちゅうごたるつかもしれません。
そしたらね、「有り難くはあっても、勿体無いが足りんからじゃ」と頂きました。有り難い、有り難うても勿体無くない。ね。
わたくし、以前に御理解に頂きましたように、わたくしが善導寺の教会に、親達が御縁を頂いて、ね、善いお導きを受けた。ね。そこから、神様のおかげを知ることができた。いわゆる、善導寺から飯田である。飯田とは、飯の田と書いてある。いわゆる、ままになるおかげを受けた、とこういうのである。ね。
そのことから、有り難くて、いわば、有り難い勿体無いで、いわゆる勿体島に到達したということである。ね。その勿体島が、椛目で開花した。ね。その有り難い勿体無いが椛目とは、木へんの花と書いてあります。心に花である。ね。その芽が出てきた。椛目には、時代に、「ここには、喜びの花を咲かせにくる所だ」とおっしゃったくらいである。みんなに。心の花を咲かせにくる所だったと。そういう心の花をです。常に持ち続けるということになった。常に持ち、いつも自分の心の中に、喜びの花を、ね、頂いておるとこういうこと。それを常に持ち続ける、というのが、常持。うん、そこに、結論としては、合楽というおかげになった。これは善導寺から合楽までのバスの停留所なんですよ、ずっと。ね。
もちろん合楽というのはです、ね、「上下立つようにいたす」とか、ね、昨日の御理解でいうと。あいよかけよとか、氏子も立ち行き神様も、氏子も助かり、神様も助かって下さるという場、合楽、ここに、いわゆる、神鎮まられることになった。(???)ただこじつけただけとは思われませんですねえ。
もう自然と私どもが生まれるも生まれるも前、もう、昔の昔から、こういう一つの神定めといったようなものはあったんだと。それをあたくしはおかげで、その神定めのまにまに、おかげを、氏子信心しておかげを受けてくれよというおかげを、いわば間違いなく受けたというようなことになる。ね。
その勿体島がですね、その勿体無いが欠けておる。有り難いなあ、勿体無いことじゃなあ、と。言うてもおる思うてもおるようどあるけれども、やはり勿体、有り難いよりも、勿体ないの方が少し欠けておる。
これはもういつものことでしょうけれどもです、頂けば頂くほどそう思うんですけれども、ここで例えば、勿体無いということはね、私どもの心に、有り難いなというのは、誰だっておかげを頂けば、有り難いのは出てくるとですよ。
ね。だから神様からご覧になれば、有り難か、ち言いよるとは、当たり前なんです。ね、そうでしょうが。ところがそれをまた押し戴くようにして、これを頂いてもよかろうかと言うて、勿体無がっておるというところはですね、そこにね、神様がね、神様が敬うて下さるようになるんです、そういう心を。
ですからここでね、敬うてくれるという、ことはね、人間が敬うてくれるというのじゃなくて、神様が敬うて下さるんだ。だからあたくしは、神様から敬まわれなかったんだ、と、ね、神様が勿体無がって下さらなかった。いや、こっちが勿体無いが欠けておるから敬うて下さらなかったと。それが、いうならこのこの腰を、ま、たがえたというわけでしょうか。その、夕べから、痛い思いをした、寝返りを打つこともできんくらいに痛い。
これはわたしは勿体無がられていないんだ、ということなんです。敬われていないんだということである。大事にに大事に扱われてはいないんだということになる。そこでです、なら家庭の中でです、ね、子供が親をなんと思うとるかという風に、子供が言うことを聞かんとか、家内が大事にしてくれないとか、ね。嫁さんがこなされるとか、ばばさんがこなされるとか、いわゆる、敬われていないということ。
うちの嫁ごが、私をろくそに扱う、というのは結局敬われていないのです。そこで嫁ごがろくそに扱うにのじゃない、神様から敬われていないということを知らにゃいかんです。神様から敬われるということはね、もうほんとに、嫁ごが勿体無いほどしてくれます、と。私くらいな者でも、主人が大事にしてくれます、と。ほんとに私くらいのつまらん親ですけれども、子供たちが大事にしてくれますと。そこにです、子供たちじゃない、嫁さんじゃない、子供じゃない、神様から敬われておる者の姿がそこに、あたしゃ、あると思うんです。ね、ですから、神様から敬われ、みんなから大事にされるためにはですね、やはり世のお役に立たなきゃいけんのです。ね。
何十年間信心させて頂いてとります。合楽にも何十年、あたしが一番古か、と、こっぴんのごと言うておっても、ね、それが空念仏的なものであったり、有り難い有り難い金光様金光様、ずい分(??)言うてきておるはず、おかげ受け取るのじゃから。ね。
けれども信心は一つも育っていない、いわゆるお役には立ってきていない、と。そこで同じお参りをするなら、同じ御用をさせて頂くなら、ね、その精神、根本がです、根本精神がです、ね、神様がお喜び頂けることのためにとか、ね、教会の繁盛のために、教会ごひれいのために、自分が使われておるというような、自覚をもって御用にあたり、お参りに専念させてもらうということになってくる時にです、ね。ただ参っておっただけの時とは、雲泥の違いの在る言わば開きがそこからできてくるのです。
そういう人、そういう信者氏子の上にです、神様が敬うて下さらんはずがない、重宝がってくださらんはずがない。ね。そこに神様の敬いが、始まる。というのは、神様が撫でたりさすったりして下さるわけはないけれどもです、ね、自分の周囲から、敬われるように、大事にされるように。それは人が大事にするんじゃない、神様が敬うて下さるんだということ。ね。
それにはいよいよ私どもが、いわゆる、信心の道をほんとに分からせてもろうて、ほんとに信心の道をいかにゃいかん。おかげの道だけじゃいかん。信心の道を行かせてもろうて、いよいよお役に立っていかなければならん。
「信心する者は、よう心掛けておるがよい」。そういうことを心掛けておるがよい。自分は、日参り夜参りさせてもろうとるが、ね、そのお参りの内容ということは、お役に立つためのお参りかどうか、確かめてみなきゃいけん。ね。
もちろんそりゃ切実なんですよね、自分の願いというものは。痛ければ痛いで、痒ければ痒いで、それは切実ですから、切実な願いをかけることはもちろんです。それをかけるなとおっしゃるのじゃない。そこをお取次ぎを頂いて、お願いをさせて頂いたら、ね、それからは、神様にお喜び頂けるようなお役に立つことを、考えなければいけない。ね。
そこでです、商売させて頂くなら、商売させて頂いておる人がです。ね、商売繁盛のおかげを願うのは当たり前なんだけれども、ね、そんならその相手のお客さんならお客さんというものをです。ね、ほんとに、ね、神様が喜んで下さるくらいに大事にするといったような、私はあり方があると思うんです。
売りさえすれば、儲けさえすればよかということだけを願うんじゃなくて、それから先、もういっちょ向こうにです、教会のことを思うという思い、家のことを思うという思い、人のことを思うという思いが、段々募ってくることが、信心が成長していきよるんだということを、分からせてもらう。信心の果たして成長がどのような形で、私ども、おかげを受けておるであろうか。段々信心の年だけはとっていきよるが、はたして人から敬われるような年のとり方をしておるだろうかと、私、分からして、ね、気付かして頂く。
ねえ、よう心掛けておるがよいとおっしゃるから、そこんところを心掛けさせて頂いて、信心の年を拾うていかなきゃならん。という風に今日は、ここを頂きますとですね、ここの御理解八十節が釈然としてくるような気がいたします。ね。
もちろんうたってありますように、年よりを大切にせよとおっしゃるですから、あたくしどもがね、どういう年寄りでもです、ね、こんばばさんばかりはもう、ろくなばばさんじゃなかちいうようなばばさんでもです。ね、やっぱ何十年間という間を(???)生まれてきた人なのだから、ね、神心をもって、大事にしていかなければならん、そういう信心も大事だと思ですね、どうぞ。
(翠)